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フランス・印象派の音楽


   ★ フランス印象派の音楽について
☆フォーレ ☆ フォーレ・Midi音楽集
☆サティ ☆ サティ・Midi音楽集
☆ドビュッシー ☆ ドビュッシー・Midi音楽集
☆ラヴェル ☆ ラヴェル・Midi音楽集

★フランス印象派の音楽

19世紀後半頃のパリは、文芸・特に詩の分野で象徴主義が隆盛期を迎え、美術の分野で
は印象主義の運動が高潮していた。 詩人ボードレールが創始し、ヴェルレーヌやマラ
ルメが大成した象徴主義は、19世紀の後半にロマン派の詩への反動として生まれた、当
時の自然主義的な高踏派に正面から反対して、感情よりも純客観的描写を重んじるとい
う高踏派の態度をしりぞけ、全く主観的な情緒や気分を表すことを主張した。 それは
従来のロマン主義とは違って、喜怒哀楽というような明瞭な観念を伴うまとまった情緒
の流出を目的とせず、もっと漠然として捕らえがたい、微妙で幽玄で夢幻的な、あるい
は神秘的な気分を表出の対象とした。 こうしたデリケートな感情は、もはや普通の言
葉や叙述法では、直接的にしかも満足の行くまでは表す事ができない。 こうして、用
いる言葉は、いっそう象徴的になったり暗示的になったりした。 その形式は自由だが
その響きは音楽的であり、その美は玄妙でさえもある。

印象主義の美術も、これと多くの類似点を持っている。 マネが創始し、モネやビッサ
ロが完成したこの印象主義は、瞬間の感覚的印象の再現を重んじて、物体の形態よりも
色彩感のある光と「空気」を描く事に重点を置く。 物体の特徴についての間接的な知
識によって迷わされる事なく、変化しやすい瞬間の姿を微妙な色彩のニュアンスによっ
て描こうとする。 その作品では、形態や構造は漠然と暗示されているだけだが、色彩
はデリケートで美しく、鋭敏な濃淡に富んでいる。

こうした新風潮に心を惹かれたドビュッシーは、マラルメのサロンに出入りし、その主
張に共感し、それを研究し、音楽でその主義を実現するのを自分の使命と考えるように
なった。 その音楽には、新ロマン主義的な描写はないが、印象の再現がある。 そし
て、在来の形式を捨てて、和声と音の美を追求する。 その為には、これまでの音楽的
論理と構成から解放されて、独自の原則に従う事になる。 このようにして印象主義の
音楽が生まれたのである。


 G.Faure (1845〜1924)
  (ガブリエル・フォーレ)

フォーレは、完全にフランス的な、霊感に富む作曲家だった。 フォーレは、バッハや
中世紀の対位法の大家の作品を研究し、サン・サーンスの指導で広範の音楽に親しんだ
が、サン・サーンスのように冷たくはなく、温かい情感に富んでいるし、既存の形式に
とらわれない自由な独創性もあるし、洗練された様式も身につけていた。 その音楽は
シューマンふうなロマン主義も見せるが、決して激情的ではなく、論理的でしかも鋭敏
であり、深刻さはないが、気品と繊細さを持っている。 そのフランス的な典雅さをそ
なえた小品は、珠玉のようでさえもある。

その作品では、レクイエム・組曲・2曲の弦楽四重奏曲、五重奏曲・歌曲、それに数多
くのピアノ曲などが知られている。 これらは、フランスの近代音楽、特にドビュッシ
に大きな影響を与えた。 フォーレからフランスの印象派主義音楽へは至近の距離にあ
る。 なお、フォーレのピアノ書法も、デリケートで新鮮であり、続くフランスのピア
ノ音楽に対して、歴史的にも重要である。

フォーレはまた教育者でもあって、パリ音楽院の作曲の教授になり、1905年には院長に
もなった。 その門下からはフランス楽界の中心的人物となった、ラヴェル、フロラン
・シュミット、ケックランなどが出た。

★ フォーレ・Midi音楽集

シシリエンヌ

 E.Satie (1866〜1925)
(エリック・サティ)

サティは、ユーモアとエクセントリックな態度で、大胆に新しい道を進んだ。 その
作品の題名にも、奇想天外なものが多いが、39歳の時に作曲技法に磨きをかける為に
あらためてスコラ・カントルムに入学したと言う経歴も、平凡ではない。 しかし彼
の独創力は高く評価されるべきで、新しい和声体系を求めたり、小説線を否定した流
動的なリズムを考案したりして、従来の音楽のあり方を排撃した。 その大胆さと新
鮮さに対して、音楽の本質を軽視するという非難の声もあったが、のちの多くの作曲
家に進歩的な影響を及ぼしたのである。 その意味から、サティは冒険的・予言的な
近代作曲家と言っても良い。

この3つのジムノペディは、サティの音楽の中で最も有名なピアノ曲である。 サテ
ィの音楽は一般に、神秘主義の時代(1885−95)、イロニーとユーモアの時代(1897
−1915)、家具の音楽の時代(1916−25)の3つの創作期に区分されるが、そこに見
えるのは、エクリチュールの確立から円熟した展開へというようなアカデミックな作
家のたどるプロセスではなくて、長い歴史の中で音楽にまとわりついてきた様々なオ
ブラートを、1枚づつはがそうと言う試みの一貫性である。

この作品は、初期の代表作の1つに入る。 タイトルのGymnopedieは、裸体の少年達
が踊ったりスポーツ風の遊戯を行うギリシャ祭典の儀式に由来すると言われている。
第1番「ゆっくりと痛ましく」第2番「ゆっくりと悲しげに」第3番「ゆっくりとお
ごそかに」。3曲とも同質の極めて似通った構成を持ち、これ以上ありえないくらい
シンプルな音楽である。 ギリシャ旋法に基づく旋律、終始一定のリズムで弾かれる
和音は、機能和声とは異なる独特の響きをもたらす。

★ サティ・Midi音楽集

ジムノペディより
(第1番)
(第2番)
(第3番)

 C.Debussy (1862〜1918)
(クロード・ドビュッシー)

フランスで新しい様式を見せた最初の代表的な作曲家は、ドビュッシーである。 ドビ
ュッシーは、パリ郊外のサン=ジェルマン=アン=レイに生まれ、11歳でパリ音楽院に
入ったが、その後しばらくは熱狂的なヴァーグナー党になり、ヴァーグナーを追って、
ウィーンやイタリアにも出かけた。 またその時期に作曲もしたが、それらの作品は後
のドビュッシーの様式を暗示してはいるものの、新ロマン主義の路線にまだ留まってい
る。 しかしドビュッシーはこれで満足していたわけではなく、ローマ遊学中から思案
をめぐらせていたのであって、やがて印象主義の音楽を開発したのだった。

ドビュッシーは、その印象主義の音楽で伝統的な音階の他に古い教会音階も取り上げ、
それでも不充分なときには全音だけでできていて半音のない音階、全音音階も用いた。
またドビュッシーは和声相互の間の古典派的な論理的なアカデミックな法則を無視して
好んで7度や4度で和音を構成し、並行の8度や5度を大胆においたりしたし、和音を個々
の音塊として扱った。 その形式も、規則的なものを捨てて、全く自由で流動的なもの
になっている。 古典派あるいはロマン派的な旋律は、印象の再現には適さないので採
用されず、柔らかく漂うような新しい感覚の独自のものとなった。 しかし、これはそ
の和声的基礎からの当然の結果でもあり、また明快で規則的なリズムを排し、伝統的な
旋律構成を避けた為でもある。 管弦楽も、強烈と言うより微妙で精巧な色彩の変化を
置く。 このようにして、ドビュッシーは、聴く側が形式とか論理とか規則とかにとら
われずに、漠々とした雰囲気の中で注意の響きの美感と色彩感に向け、刹那的に変転す
る気分を味わうようにした。

ドビュッシーのこうした書法は、リストやムソルグスキーなどの音楽から多くのものを
学び取ったり、当時の新しい作品を研究したりして到達されたものではあるが、その書
法と音楽自体は、あくまでもドビュッシーだけのものである。 ドビュッシーは音楽の
新しい美を創造した。 そしてその美は、すぐに各国で真似られた。 そうでなくても
各国の作曲家で多少とも多少ともドビュッシーの様式の感化を受けたものは極めて数多
い。 それほどドビュッシーの影響は大きかった。 それにも関わらず、ドビュッシー
の印象主義は、当時の音楽の全てを支配したわけではなかった。 フランスでさえも、
ドビュッシーと別の方向を選んだ作曲家も少なくはなかったし、ドビュッシーの音楽に
対する反動も弱くはなかったのである。

★ ドビュッシー・Midi音楽集

前奏曲集より「亜麻色の髪の乙女」
     アラベスク
   版画より「雨の庭」
    レントより遅く
       
    ベルガマスク組曲より
   (プレリュード)
    (メヌエット)
     (月の光)
  組曲「ピアノのために」より
    「サラバンド」

     M.Ravel (1875〜1937)
    (モーリス・ラヴェル)

ドビュッシーの様式を受け入れながらも、著しく独創性を示したフランスの作曲家はラ
ヴェルである。 ラヴェルは、スペインに近いピレネーで生まれたので、スペイン的な
感覚と必ずしも無縁ではなかったが、幼少のときからパリの空気に触れ、そこで教育を
受けたので、パリ風の洗練性も身につけていた。 そしてドビュッシーの影響を拒否す
ることなく受け入れて、和音の自由な連結や精妙な音色を使い、またフォーレのもとで
古典的な形式を尊重することも学び、シャブリエから明快な旋律や輝かしい管弦楽法を
体得し、サティからも知性的に刺激されて、独自の様式を設定した。 ラヴェルの音楽
は、ドビュッシーよりも明快であり、明確な輪郭をおく。 その感覚は鋭敏であるが、
爆発的でも熱狂的でもなく、知性で抑圧されている。 しかし、しばしばユーモアをお
いてみたりもする。

ラヴェルは、早くから多面的に作曲をしたが、特に際立った創作様式の進展を見せた訳
ではない。 このラヴェルは、まずピアノ音楽で注目を集めた。 初期の作品「亡き王
女の為のパヴァーヌ」はすでにラヴェル独特の様式を示し、明快な形式と精緻な和声を
持つ。 但しその中に示された淡い感傷性は、後には知的で抑えられるようになる。 
ラヴェルは、室内楽曲や協奏曲でも名声を上げた。 それらは古典的で堅実な構成、和
声の近代性、柔和な感情、豊富な楽想で、すぐに多くの支持者を得た。 又、ラヴェル
の管弦楽曲は、管弦楽の巧妙な処理で、華麗な色彩感を出す。 管弦楽法の変奏曲とも
いえる「ボレロ」は、ラヴェルの管弦楽の扱いの天才的な巧みさを実証する。 そして
声楽曲の分野においては、情緒的には冷たいと評される事もあるが、やはり知的に整理
されていて、歌詞への細かい配慮も見せる。

このラヴェルも、1932年に自動車事故にあい、それで脳性疾患に悩まされ、廃人同様の
生活を5年ほど続けて、この世を去った。

★ ラヴェル・Midi音楽集

亡き王女のためのパヴァーヌ

  (バロック)   (古典派)   (ロマン派)  (ロシア音楽)

 


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